童謡の里 龍野 碑巡り

5「国木田専八」の奉納の玉垣

■所在/龍野神社参道入口右端玉垣
■建碑/明治9年10月

この玉垣の親柱奉納者は、明治の文豪国木田独歩の父専八と異母兄久保田猛二の二人である。専八、47歳、猛二、16歳であった。久保田家は専八の父権左衛門(俳号国丸、常照寺に墓碑あり。)の実家であったから、猛二を久保田家の後嗣としたのであろう。専八は後に銚子で晩年を過ごすこととなるが、明治8年6月司法省出仕となり、翌明治9年2月山口裁判所勤務を命ぜられる。この年の5月に妻とくと離縁している。専八は藩士としての最後の奉公として龍野神社に玉垣を奉納したのである。後に銚子から淡路まんを入籍し、銚子で晩年を送ることとなる。とくとの間には3人の子があったが、淡路まんとの間に生まれた子が国木田独歩であろうと言われている。

6「安田清風」の歌碑

もみじ葉の下ゆく我をよびとめて清くやさしき谷水のこえ

■所在/龍野公園紅葉谷入口
■建碑/昭和39年11月8日

安田清風は、本名を喜一郎といい、明治28年揖保郡太子町吉福に生まれた。龍野との縁は大正10年から5年間県立龍野中学で教鞭をとっていた。短歌は大正3年ごろから前田夕暮に師事し、一時は「水甕」の同人であったが、昭和21年から「白珠」を主宰した。昭和29年大阪樟蔭女子大の講師となり、同年宮中新年歌会始めに召人として陪聴に預かった。NHKその他の選者にも選ばれ、関西歌壇の重鎮である。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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