【1】 うすくち龍野醤油資料館 龍野醤油醸造の始まりは、天正15年(1587)と伝えられています。現在は近代設備のもとで生産されていますが、昔は大豆をたき、小麦を炒り、全て人力で造られていました。当時の用具・文献資料を一堂にそろえて醤油造りの今昔を見ることができます。 |
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【2】 如来寺付近 浦川に接して、寺院、醤油蔵などがあり、城下町龍野の情緒が残っています。如来寺境内には露風の歌碑と筆塚があります。 |
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【3】 龍野歴史文化資料館 龍野は古代より山陽道・美作道が走り、中世には筑紫大道、近世には揖保川の水運を常に交通の要所として栄えてきました。このため多くの文物が残されていますが、古代より近世までの文化資料を保存・公開しております。 |
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【4】 龍野城 龍野城は鶏籠山山頂の山城と現在の地の平山城との二期に分けられます。山城は約500年前、赤松村秀によって築かれ四代続きましたが、天正5年豊臣秀吉に城を開け渡しました。その後山麓の平山城となり数回の城主交代があって、寛文12年に信州飯田から脇坂安政が入部しました。脇坂藩は明治初年まで続き、城主では赤穂城請取りの安照、寺社奉行の時、延明院事件を裁いて老中になった安董、井伊直弼が殺された桜田門外の変当時の老中安宅などが有名です。 |
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【5】 霞城館(かじょうかん) 龍野が生んだ現代の文化人、三木露風、内海青潮、矢野勘治、三木 清の四氏に関する文献、遺品を一堂にそろえています。 |
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【6】 武家屋敷跡 脇坂藩公邸跡付近には、落ちついた「城下町龍野」のイメージが今も残っています。白壁の土塀に「見通し窓」があり、石垣の「打コミハギ」には城下町らしさが残っています。 |
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【7】 紅葉谷 紅葉谷の入り口付近の楓は、木漏れ日も通さぬほど茂っています。 |
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【8】 野見宿禰(のみのすくね)神社 野見宿禰が有名なのは相撲の元祖で、殉死のかわりにハニワを立てたことです。 |
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【9】 聚遠亭(しゅうえんてい) その昔、松平定信が来遊したとき、ここからの眺望絶景をたたえて「聚遠の門」とよんでからいつの頃か聚遠亭と名づけられた。その名のとおり遠く淡路島、瀬戸の島々を見ることが出来ます。心字池上にある浮堂の茶室は安政年間城主脇坂安宅が京都所司代の職にあって御所が炎上したとき、その復興に功績があり、孝明天皇から拝領したといい伝えられています。庭園・池などと調和した書院造りを模した数奇屋風の建築です。 |
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【10】 龍野神社 祭神は脇坂家の始祖、甚内安治です。安治は賤ヶ嶽七本槍の一人に数えられ、社宝の貂(てん)の皮製槍ざやは甚内が丹波の鬼といわれる赤井氏を攻めたときの功によってゆずられた物です。十代安董は、外様大名でただ一人老中になった傑人です。十一代安宅も寺社奉行となり、龍野の繁栄を築きました。 |
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【11】 文学の小径 赤とんぼの歌碑から聚遠亭に通じる桜道を「文学の小径」といいます。 |
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【12】 龍野公園・小動物園 鶏籠山西側一帯の山麓は、西播丘陵県立自然公園で、龍野公園とよばれています。 |
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【13】 童謡の小径 昭和62年7月に全国より「あなたの好きな童謡」を募集し、上位8曲を対象にして、その童謡にふさわしい環境を整備し、メロディーが流れるセンサー(感知装置)付きの童謡歌碑を設置し、「童謡の小径」として龍野公園内の白鷺山に整備されました。 |
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【14】 国民宿舎・赤とんぼ荘 たつの市が兵庫県下で最初の国民宿舎として建てたのが赤とんぼ荘です。眼下に揖保川の清流、播磨平野を一望に眺めることが出来ます。特にはるかに瀬戸の島々を望む眺めは絶品です。郷土が誇る詩人・三木露風の代表作「赤とんぼ」にちなんで、その名も赤とんぼ荘としました。 |
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【15】 哲学の小径 この小径一帯には多くの碑があり、移りゆく世の変転が見られるかもしれません。 |
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【16】 片しぼ竹 マダケが変化したもので、節間は芽の上側の反面が平滑で反対側に皺(しわ)ができます。 |
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【17】 龍野御坊・円光寺 宮本武蔵は、播州龍野藩の領内に滞在し修練しました。龍野御坊・円光寺境内の道場において修行しつつ、弟子達に指南し、円光寺住持の多田半三郎頼祐に円明流の印可状を与えています。 |