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新宮町の観光マップと見どころ

新宮町東部マップ

新宮町東部マップ

新宮町北西部マップ

新宮町エリアマップ(東部)

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【1】 磨崖仏(まがいぶつ)

觜崎橋の北東の川岸に沿って連なる岩山は、その山容があたかも鶴の嘴(くちばし)に似ていることから、昔から鶴嘴山(つるはしやま)と呼ばれてきたところです。その嘴にあたる付近の切り立つ岩壁に、舟型状の光背を彫り、その中に大人の大きさぐらいの地蔵尊が浮き彫りにされているのが見えます。それが土地の人々が昔から「いぼ神」さんと敬い祀る磨崖仏(岩をけずって彫った仏像)です。胸に知恵の宝珠を抱き、右手に錫杖を持った地蔵菩薩は600年を経た今も、深い慈愛のまなざしで、煩悩に悩み苦しむ衆生を見守って下さっているかのようです。

【2】 屏風岩(びょうぶいわ)

曽我井南部から揖保川に沿って左岸に連なる山を北村の南部から見ると、ちょうど山脈が鶴の嘴(くちばし)のように見えることから、この山を鶴嘴山と言い、その嘴にある村を觜崎(はっさき)というようになったそうです。その鶴嘴山の姫新線トンネル口の北300メートルに揖保川川岸から頂上まで、さながら大きな岩の屏風を立てたように切り立った岩脈が見えます。これが明治27年巨智部(こちべ)理学博士によって学界に発表され、昭和6年文部省から地質学上貴重な資料であるとして天然記念物に指定された「觜崎屏風岩」です。

【3】 新宮リバーパーク

地質学上貴重な資料であるとして、「天然記念物」指定された「觜崎屏風岩」の目下に広がる河川敷スポーツ公園です。
ハードコートのテニスコート2面、芝グラウンド、土グラウンド、周回遊歩道が整備されており、川面をわたる爽やかな風を受けて、快適な時間を満喫してください。

【4】 城山(きのやま)城跡

馬立(うまたて)、下野田の西の山の頂上(標高458メートル)付近は、中世250年間にわたって播磨を支配した赤松一族が本城白旗城(上郡町)に次ぐ重要な戦略拠点として城山城を築いた場所です。この城跡へは、下野田から上る兵糧道と、馬立から上る大手道、それに市野保から迂回するからめ手道があります。どの道をとってもかなり急ですが、ほぼ1時間で山頂に着くことが出来ます。なお、この城跡は、近年の調査で、「門の築石(つきいし)」と呼ばれる礎石や石塁などが見つかり、県下唯一の古代山城であることが分かりました。

【5】 東山公園

東山公園入り口には全長159メートルの架線橋(吊橋)が架けられ、訪れる観光客にちょっぴりスリルを味わわせています。公園内には孤高の哲学者寺田弥吉の記念碑、不動の滝などがあり、絶好の散歩コースになっています。特に、春の桜やつつじ、秋の紅葉などが美しく、多くの人々の目を楽しませてくれます。

【6】 国民宿舎・志んぐ荘

通称「小嵐山」山麓に立つ11階建ての規模の大きな国民宿舎です。料理師範の料理長が四季折々の食材を使った会席料理、夏は鮎料理、冬は各種鍋料理が自慢です。

【7】 からす岩と重ね岩(とうの岩)

新宮高等学校の西を流れる栗栖(くりす)川の対岸にある独立した丘陵は、「お大師さまの新田山」と昔から町の人々に親しまれてきた山です。山には四国八十八ヶ所霊場の石の祠があり、中には弘法大師の石仏と各霊場の御本尊の石仏が祀られています。その祠に詣でる道を蛇行しながら登っていくと、頂上付近に2つの大きな岩があります。
左側の黒い鳥がくちばしを天に向けているように見える岩を「烏岩」(からすいわ)と言い、右側の二つ重なったようになっている岩を「重ね岩」と言います。この二つの岩は昔から霊岩と言われ、播磨風土記にも書き記され、今も「万燈」(まんとう)という行事が受け継がれています。

【8】 新宮宮内遺跡

新宮駅と新宮小学校の間の水田地帯は、原始時代から人々が長期にわたって生活した地域として知られています。
昭和40年代に予備調査と範囲確認調査が行なわれ、弥生時代中期(約2100年前)を中心とする縄文時代後期〜平安時代の複合遺跡であることが明らかになり、石ぞく、縄文式土器(大型壷)、分銅形土製品(弥生時代の祭祀用具)、鉄製ナイフなどが多数の土器片と共に出土し、さらに直径約7メートルの約8メートルの大型竪穴住居址も発掘されました。昭和57年に国指定の史跡として認定されました。

【9】 埋蔵文化財センター

平成18年6月に新設オープンした学習体験施設です。国指定史跡「新宮宮内遺跡」のサイトミュージアムであるとともに、たつの市や西播磨地域の原始・古代・中世の歴史文化遺産を紹介し、常設展示のほか各種体験学習や企画展・文化財講習を行い、当地域の豊かな歴史と文化情報を発信しています。

【10】 梅岳寺(ばいがくじ)

正式には「鹿苑(ろくおん)山梅岳寺」というこのお寺は、中世に播磨、美作、備前三国の守護職赤松則祐が、その本城白旗城(上郡町)に次ぐ重要拠点として築いた「城山城(きのやまじょう)」の鬼門(北東の方向)の災厄を払うために建てた城禅寺が、赤松氏滅亡後衰微していたものを、慶長10年(1605年)住持密室祖顕のときにこの地に移し、寺名も鹿苑山梅岳寺と改め、当時勢いのあった京都妙心寺の末寺に改宗して法灯が守られたといわれています。

【11】 天神山古墳

天神山古墳は、後期古墳に属する最大規模の円墳です。この古墳は宮内古墳群から離れていることや、その規模などから見てこの地に君臨した族長級の墳墓と推察されます。特に発掘された馬具の金具には金メッキの一部が残っていることから、被葬者の権威のほどをうかがい知ることができます。昭和55年にこの古墳と出土品は、市の文化財に指定され、出土品は歴史民族資料館に所蔵されています。

【12】 天満神社

播磨新宮駅から北西に見える大鳥居のある宮内の集落背後の山は中世に播磨、美作(みまさか)、備前(びぜん)の三国の守護職赤松則祐が、城山の山頂(標高458メートル)に城を築いた時、その鬼門を護り、城の安泰を祈るために、唐から帰朝した霊岳宗古禅師を開山住持に迎え、城禅寺という寺を建てました。ある日、その城禅寺の霊岳禅師の夢枕に、日頃崇拝している天神(菅原道真)が現れ、禅師は大そう感激し、この天神を鎮守堂(1369年)に祀りました。これがこの天満神社の縁起です。本殿は国の重要文化財、御神像は県の重要文化財として指定されています。

【13】 吉島(よしま)古墳

吉島の南集落の市道を行くと、吉島古墳登山口の標識があります。そこから細い尾根の山道を蛇行しながら登っていくと急に視界が開けるところに出ます。これが古墳時代前期(4世紀頃)の前方後円墳、吉島古墳です。特にここから出土した鏡は、6面とも当時中国から輸入された舶載鏡という古い鏡であり、1つの古墳から6面も発掘されたというのは全国でもまれです。この古墳は昭和53年に国の史跡として指定されています。

【14】 道の駅しんぐう

2つ3つとほうばりたくなる甘みあっさり大黒餅、淡口醤油の香りが絶品の醤油饅頭、夏は冷たく、冬はにゅう麺がお勧めのそうめん等、多数の名産品を揃えてお待ちしております。

【15】 千本宿跡

国道179号線沿いの千本は、その昔、因幡、美作に通ずる街道の要衝として知られたところで、特に江戸時代に大名の参勤交代が行われるようになってからは、大名の宿としての本陣(内海家)や旅籠屋、商家などが軒を連ね、宿場町としてにぎわいました。昭和の初期は、道の両側にはまだ宿屋、薬屋、雑貨屋などが土塀をめぐらせた本陣、脇本陣などと共に残っていて、昔日の面影を留めていましたが、鉄道が敷かれ、国道も南の栗栖川沿いに通ずるようになってからは、ここを通る人もめっきり少なくなり、老舗を誇る商家も次々に転出、又は廃業し、かつての宿場町の風情はほとんどなくなってしまいましたが、現在でも内海家の本陣は残っており、国の重要文化財に指定されています。

【16】 播磨科学公園都市

昭和62年の新都市建設の着工以来、<産・学・住・遊>の各機能が年々充実し、世界施設である大型放射光施設スプリング8をはじめとする各種研究施設、生活環境、商業施設などの各分野がリンクする高次元機能都市です。
春には、色とりどりの約6万本のチューリップが咲き誇ります。

【17】 河内神社

栗栖(くりす)川の上流、牧の県道ばたに古いお宮があります。祭神は八幡さんで、今より約千年前の平安時代に九州宇佐八幡宮より迎えたと言われています。本社はもと八幡大神といい、栗栖庄24カ村の総社で、境内に75社あり、大鳥居は遠く芝田(こげた)の鼻にありました。このお宮には9月25日に祭神事に使う道具を準備する「木拾い」の式、10月1日には境内に神域を設けて神を屋外にお迎えする「口開き」の式、また雨乞いに各村から集めた99の桝に神社の庚桝を加えて100桝とし、社前の小川で洗って祈願する「桝洗い」など古い神事があります。また、境内の大銀杏や背後のシラカシ林は、市指定の天然記念物となっています。

【18】 栗栖(くりす)池

牧の麦子で県道より分かれ、左の道を栗栖川の支流・麦子川に沿って北に進み、麦子橋を渡ってから1キロメートル余り歩くと、川をせき止めて作った大きな池に着きます。
当時は4戸の集落がありましたがこの池を作るために全戸移転し、180アールをつぶして戦中・戦後を通して約10年の歳月と多くの労力・資材を費やしてようやく昭和27年8月に完成しました。

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