童謡の里 龍野 碑巡り

35「花田比露思」の歌碑

揖保川の かはらの千鳥さ夜ふけてしき鳴くからに人のこひしき

■所在/龍野町富永 中川原公園西南隅
■建碑/昭和37年12月9日

花田比露思は、明治15年、福岡県に生まれ、41年京大を卒業して朝日新聞に入社した。43年関西根岸会を結成して「潮騒」を創刊し、大正10年「あけび」と改称して主宰した。大正13年京大学生監、昭和7年和歌山高商校長、18年九州経専校長、24年福岡商科大学々長、29年大分大学々長、33年退職し、なお36年まで別府大学々長を勤めた。実に人格高潔な歌人であり、教育者でもあった。
39年1月には、宮中新年歌会始めに召人として「ふるさとの清き流に今もかも翁はひとり紙漉くらむか」と詠進して栄誉に預かった。41年従三位勲二等を叙勲された。昭和42年7月26日に永眠し、行年86歳であった。

36「吉井 勇」の歌碑

ほのかなる人のなさけに似るものか龍野醤油の うす口の味

■所在/龍野町富氷 ヒガシマル醤油工場敷地内(ご覧になられる方は、本社総務課へお尋ね下さい。)
■建碑/昭和49年春吉日

勇は、明治39年、東京芝区高輪の名門吉井伯爵家に生まれた。祖父を薩摩藩士で西郷や大久保と国事に奔走した明治の元勲である。
勇は始め新詩舎に加わったが後脱退した。青春時代は放浪と酒と愛欲の世界を彷徨し、その中から彼独自の頽唐的歌風を確立して多くの読者を魅了した。彼が歌壇に不動の地位を確立したのは、明治43年の歌集「酒ほがひ」によってである。
この大歌人がかつて一度だけ龍野を訪れたことがある。昭和34年8月23日のことである。
生成会龍野支部の招きによるものであった。生成会というのは、学術、芸術、文学等の分野で戦前活躍したオールド、リベラリストたちの会である。
勇は、戯曲、小説、随筆等にも才筆を振い、昭和23年日本芸術院会員になった。昭和13年京都に移住し、35年11月19日、75歳の生涯を閉じた。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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