童謡の里 龍野 碑巡り

19「山崎八重松」の頌徳碑

■所在/龍野公園市民グラウンド東北隅
■建碑/昭和10年5月15日

山崎八重松は、福井県の人で教育者であり、教育事業家でもあった。各地で小学校や商業学校の教師経験を積み、大正6年、龍野に移住して塾を開いた。大正7年県の認可をとり、9年には私立実業教育弘道学館と改称し、13年には下霞城に校舎を新築した。自ら館長として教育に当たり、播州実業界に送り出した人材は800人を超え、産業界に尽くした功績は大きい。昭和17年、87歳で没した。

20「三木露風」の立像

■所在/龍野公園入口三叉路から30m
■建碑/平成元年6月23日

三木露風は、明治22年(1889年)龍野に生まれ、名は操といった。7歳のとき母は離婚して実家に帰ったため、終生母を慕う気持ちが強かった。17歳のとき処女詩集「夏姫」を岡山から出版したが、中央には余り知られていない。この年、上京して文壇人との交際が始まり、早稲田、慶應両大学にも籍をおいたがいずれも除籍されている。彼を有名にしたのは、明治42年に出版した「廃園」で、中央詩壇にその地位を確立した。当時、北原白秋の「邪宗門」と並び称され、白露時代という言葉もあった。詩風は象徴詩でそれを完成したのは第四詩集の「白き手の猟人」といわれている。白秋が南国的色彩と音楽の詩人であったとすれば、露風は北方的沈うつに身を沈めようとする詩人であったといえよう。昭和39年12月29日、交通事故のため75歳の生涯を閉じた。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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