童謡の里 龍野 碑巡り

17「本間虚舟」の紀恩碑

■所在/龍野公園文学の小径 桜橋奥50m
■建碑/大正5年8月

本間虚舟は、嘉永元年(1848年)龍野藩医の家に生まれ、名は貞観、通称子明といった。江戸に遊学して安井息軒、塩谷宕陰に学び、帰藩して藩校の読書指南になった。廃藩後は飾磨県第十五台区学区取締となったが、明治11年官を辞して私塾「半九精舎」(本間塾)を開いた。明治30年県立龍野中学校が開校したとき、招かれて教鞭をとり最後の儒者といわれた。
この碑は、大正5年に門下生によって建てられている。大正8年、職を辞し、9年、73歳で没した。

18「平井文之助」の句碑

巣立せし鶏籠山のしげりかな

■所在/龍野公園文学の小径桜橋の左袂
■建碑/大正14年仲秋

平井文之助は、文久元年(1861年)龍野に生まれ、俳号を玉潤といった。毎日新聞文芸部、経済部を経て新聞社を辞し、株式問屋大五商店を創設し成功した。
大正10年、愛郷の念から大金1万円を投じて、現在の龍野公園の桜道を開拓し、12年に桜千本を植えて町に寄贈した。また、昭和9年には紅葉谷から両見坂までの道路改修を行い、500本の楓を植え、春は龍野公園の桜、秋は紅葉谷の紅葉と、観光龍野の実現に努めた恩人である。昭和11年、76歳で没した。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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