たつのの有名人&達人
過去の有名人(医学、スポーツ、宗教、逸話・伝承)
医学
渡辺 完 わたなべ たもつ 1888-1955 |
龍野が生んだ偉大な国手、氏はレントゲンの犠牲となり、ドイツハンブルグ市の大学には日本人として二番目の顕彰碑が建立されている。明治43年日赤大阪支部病院外科に奉職、大正3年順天堂病院レントゲン科にて藤浪博士に師事、その後医学博士となる。昭和7年国際放射線学会日本代表として出席。同24年大阪電気局病院院長となる。同27年に開業したが3年後永眠。 |
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スポーツ
三木義雄 みき よしお 1904-不詳 |
揖西町構に生まれる。龍野中学校から慶応大学と進む。大正14年200mローハードルで24秒6の世界記録を樹立。昭和3年アムステルダムオリンピックの陸上競技110mハードルに出場し、準決勝まで勝ち残る。 |
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下津屋俊夫 しもつや としお 1911-不詳 |
龍野町中霞城生まれ、龍野中学を卒業。後にオリンピックを体育学において国内で初めて体系付け、スポーツ界初の名誉教授となる。 |
三木正巳 みき まさみ 1920-1983 |
龍野町下川原に生まれ、龍野中学、早稲田大学と進む。大学では主将を務め、東西対抗戦にも出場した。昭和17年満州国10周年慶祝東亜競技大会に日本代表として出場。昭和21年日本バレーボール協会「年度最優秀選手賞」を受賞。 |
宗教
大燈国師 だいとう こくし 1282-1337 |
鎌倉時代後期の臨済宗の僧。播磨国揖西郡(現在のたつの市揖保町門前)に生まれ、書写山円教寺、鎌倉の建長寺、京都万寿寺で禅の修業を積む。25歳から8年間宋の国に渡り修行。後に大徳寺を開山し、朝廷の帰依を受ける。諡号が大燈国師。 |
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武内了温 たけうち りょうおん 1891-1968 |
揖西町竹原の松林寺に生まれる。苦学の末京都大学を卒業。卒業後は、東本願寺の大谷派社会課長に就任。大正13年真身会を設立。部落開放の運動ともに理論的発言著述を精力的に展開。昭和4年に社会課顧問となったのを機会に松林寺に住し、真身会の支部づくりや講演、地域の活動家との交流に務め、啓蒙活動に尽力した。 |
逸話・伝承
野見宿禰 のみの すくね |
相撲の元祖として広く知られ、龍野で病死したと言われる。また、垂仁天皇の統治時、殉死にかえて埴輪を埋葬した。 |
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