たつのの有名人&達人

インタビュー音楽の達人 守谷忠彦さん(第1回)

<はじめに>

守谷氏

このコーナーの4人目は、フォークソングバンド“ひとつ山こえてみよう会”のリーダー・守谷忠彦さん(69歳)に登場して頂きました。
1981年に4人でバンドを結成し、地元の暮らし、自然、人々、歴史をテーマに地域に密着した活動と創作を目指して活動を続け、昨年12月に30周年を迎え、その記念ライブを盛大に実施されました。その創作活動は目を見張るものがあり、オリジナルソングは200曲以上、その内地元をテーマにした曲は50曲を越えるという素晴らしい地元密着型のセミプロバンドです。
30年間のライブの回数は数えきれないぐらいですが、最近は4年前から御津町の「世界の梅公園」で市内外から20バンド以上が集まるミュージクフェスティバルを企画・運営(出演も)。また、自身のバンドのアルバムを出すだけでなく、地元のミュージシャンに呼掛けて“たつの”にまつわる歌を収録したアルバム“たつのソングス”を制作し、たつの市民だけでなく、たつの市を訪れる観光客にも人気を博しています。今回は、長きにわたるバンド運営の秘話や音楽に対する取り組み等をお聞きしました。

<バンド結成30周年を迎えて>

聞き手;30年を迎えられたお気持ちはいかがですか?

守谷;一応、長くやろうという気はあったが、30年もよくやれたなぁと感慨深いものがあります。

聞き手;いやー、すごいですよ!自分もバンドをやっていましたが、1つのバンドをそんなに長く維持出来ないですよね。

(30周年記念ライブ〜その1)

写真:30周年記念ライブ30周年記念ライブ30周年記念ライブ

守谷;私たちのバンドのコンセプトとして“地域の歌“というのがあって、龍野、室津、姫路等々の題材をベースに、地域の文化を活性化したいという想いでやってきました。そうしたら地域の人たちとのつながりも出来てくるし、ささやかだけど続けていけるのではないかと思った。さらに地域の人情とか風景などを掘り起こして、地域にスポットを当てて、地域の良さというものを歌で表現し、次へとつながっていくようにしました。

聞き手;30年前に発足した当初は何人でしたか?

守谷;4人です。

聞き手;4人は今もいらっしゃいます?

守谷;1人はやめたましが、3人は残っていますよ。

聞き手;それは素晴らしいですね。

写真:香住8人

守谷;それから途中で6人になり、7人になり、女性も1人入って今は10人になっています。面白いのは、初めは姫路の市民会館の音楽教室があって、そこでコンサートを開きました。グランドピアノがあって50席ぐらい椅子がある場所でしたが、そこで年2回ぐらいコンサートをしていましたね。“山をこえて(越えて)みよう会”なので、“山”にちなんで、“一合目コンサート”、“二合目コンサート”という呼び方でやっていた訳です。この時に必ず地域のゲストに出演してもらっていまして、そのゲストが引っ張り込まれましてね、結局メンバーになったんですよ。(笑)

聞き手;なるほど。ゲストで来られていた方がうまいことGet!出来た訳ですね!

守谷;林氏なんですけど。(笑)

聞き手;30周年のライブでもご本人がおっしゃっていましたね。

守谷;そう、“右足入れたら、とうとう両足入ってしまった”とね。(笑)

聞き手;結局抜けられなくなったということですね。(笑)

守谷;そうですね。

<バンド名の由来は?>

聞き手;話は変わりますが、“ひとつ山こえてみよう会”というバンド名の由来は何ですか?

守谷;バンドを始めたのが私も仲間も30歳代だったので“もうひとつ花を咲かせてみよう会”というような気持ちを文字って作ろうとしました。アイディアと企画力のある大西氏が、それなら“ひとつ山こえてみよう会”という名前にしようかと提案してくれました。

聞き手;なかなか印象的で、うまいネーミングですね。私は“赤トンボ増やそう会”をやっていますが、“赤トンボ増やそう会”というネーミングは何のヒネリもなく「そのまんまやないか!」という感じですからね。

守谷;趣旨が分かりやすいからいいんじゃないですか。

聞き手;いわゆる“ひとつ山”というのは、これから山をもう一回作ろうと、或いは越えようという気概を現わしたものですね。

守谷;輝く人生を!そしてもう一回花を咲かせてみよう会ということですね。

聞き手;“花を咲かせてみよう会”だと“赤トンボ増やそう会”と相並ぶ同次元のネーミングですが、“ひとつ山こえてみよう会”というのはストレートではないですから、もう少し次元が高い、大変良いネーミングだと思います。

守谷;そうですね。有りそうで無いという感じです。(笑)

<“詩がない(しがない)サラリーマン”が、今では200曲も!>

(十合目コンサート)
写真:守谷さん

守谷;半年ごとにコンサートをやっていて、5年目で十合目というのを迎えて、ちょっと大きい目にしました。会場は姫路の自治福祉会館の7階で150席ぐらいでした。その時、ゲストの中に、ミュージカル「じろはったん」に描かれた森はなさんという加古川の児童文学作家や版画家の岩田健三郎さん等に来て頂きました。

守谷;また、新曲発表会というのを2回ほどやって、その時の歌で残っているのが、“酒呑み人生”でしてね。

聞き手;“酒呑み人生”というのは、なかなかユーモラスで、歌詞も的を得た大変良い内容でしたね。地元のお酒の名前が全部出てきていたんじゃないですか?

守谷;“もったいない”という歌もありました。マータイさん(環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性)が“もったいない”を広められましたが、あの方が言うより前に唄っていた訳で、私たちが先駆けだったんですよ。

聞き手;なるほど、そうでしたか!大変素晴らしいですね。
   ところで、初めから歌詞は自分たちで作られたんですか?

守谷;当初は、歌詞は自分たちではよう創らなかったので、姫路の詩人、島津弥太郎さんの民具の歌とか、大塚あきさんという詩人のユーモラスな“弁慶”の詩に曲をつけたりしていました。初めは詩が書けなかったんです。当時はサラリーマンだったから“詩が無い(しがない)サラリーマン”って言ってたんですよ!

聞き手;いやー、うまい、うまい!(笑&拍手!)

守谷;だんだん創っていくうちに増えました。現在200曲を越えていると思いますが、駄作も多いです。今残っている曲は半分以下ぐらいです。

聞き手;私自身が詩を創れないので感心します。

守谷;確かに詩は難しいです。

聞き手;人に訴えかけるというか、感動を与えるというか、いわゆる自己満足ではない意味のある詩を創るのは本当に難しいと思います。

守谷;共有出来るような想いとか、自分が住んでいる町や暮らしを歌にしたいですね。花とかも取上げました。“モウセンゴケ”なんかは野の花の良さとか豊かさを共感出来るよう歌にしました

聞き手;私が良いなと思ったのは、「桜月夜」ですね。龍野の桜の情緒をうまく詠って頂いていますね。名曲だと思います。

守谷;その曲はうちの人気ベストスリーに入ると思います。思いつきでパッと出来たら良いんですけどね。“鶏籠山“という歌なんかは、ネタから仕入れて6ヶ月ぐらいかかりました。
元々室津が好きでしてね。「夢二の手紙」というのがあって、竹久夢二が時々室津に寄って室津のことを詠っているんですね。その中に、東京の恋人の彦乃さんに“昔栄えていて、今はさびれている室津を見て、私の年老いた母のような気がした”という手紙を彦乃さんに送った。その手紙が残っています。それをヒントに「夢二の手紙」という詩と曲を創りました。それをみんながすごく良いと言ってくれました。

聞き手;なるほど。皆さんから絶賛されたというのもすごいことですね。

音楽の達人 守谷忠彦さん |
たつのの有名人&達人 メニューに戻る

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
制作:たつの文化活動促進運営委員会(TCC)|メールアドレス:jouhou@tatsuno.info