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秋祭特集 小宅神社

(今回インタビューにお答え頂いた方は、小宅神社の小池宮司さんです。)

<はじめに>
神社の祭は、大きく大祭、中祭、小祭と三つに大別され、秋の祭は、正確には例祭といい、大祭になります。例祭を迎えるに当たり、境内の清掃、社殿の装飾、各所注連縄の取替え、神輿(みこし)及び神宝類の飾付け、各所幟(ノボリ)立て等の準備をします。また例祭当日は、昔、小宅神社では神幸祭(神輿)、野点(のだて)、流鏑馬(やぶさめ)神事、屋台の練り出し、獅子の奉納舞、田舎芝居、餅放り(もちほり)等が施行されていましたが、地域取締方より許可が容易に出ず、また氏子気風の変遷で多くが途絶えました。今は、各氏子持ち回りで神輿祭、余興(カラオケ、コンサート、民謡、奉納太鼓)、餅放り、及び有志氏子による子供神輿の練り出し等が施行されています。また、賑わいの一環として数店の出店が出ております。時代は変わっていきますが、伝統文化を何とか守り続けることが重要と思っています。

Q;小宅神社はいつごろ出来たのですか?

A;西播磨地区においても古社の部類に属すると思います。小宅神社の御祭神、つまり応神天皇、神功皇后は当初小宅家にてお祀(まつ)りされました。約1800年前のことです。小宅神社が建てられたのは伊勢神宮の内宮の第1回目の遷宮が完成した年、つまり持統天皇の庚寅(こういん)4年、西暦690年で約1300年前です。それ以前の里名は漢部(あやべ又はかんべ)の里と言われていました。この里名は播磨風土記にも記されています。
神功皇后が三韓征討より御帰還の際、下の萩原の里に碇泊された時、当時の里長、小宅秦之公は中央に於いて謀反(むほん)があることを独自の情報網で収集し、この件をいち早く皇后に伝えられた。皇后は秦之公のこの行動を大変喜ばれ、出発の際、秦之公に1つの奇石と複数名の韓人を与えられた。後に神巧皇后が崩御されてより小宅家におかれては、この奇石を皇后の神霊としてお祀された。これが小宅人神社の起因です。この奇石は今も皇后の神霊として御本殿にお祀されています。これ以後もこの里は小宅氏一族によって統治されてきました。小宅氏とは、渡来人で秦(はた)氏の一族です。(秦氏一族の文中に小宅秦之公の名が明記されています。)時代は降って秦之公の子孫、川原若狭智麻呂が里長(さとおさ)に任ぜられた時、これを機に里名を小宅氏の小宅をとって小宅の里と改名されました。つまり先に述べた持統天皇の庚寅4年のことです。

Q;この祭はいつぐらいから始まったのですか?

A;持統天皇の庚寅4年(西暦690年)からで例祭日は9月15日(旧暦)と定められました。大昔の祭の規模は知るところではありませんが、江戸時代の規模は小宅神社の絵馬殿の絵馬(えま)を見て下さい。絵馬に描いてあるのを見ると、神輿(みこし)が2台、屋台が6,7台出ていた。他に流鏑馬(やぶさめ)、野点(のだて)等の神事がありました。絵馬は、年代的には嘉永の末(安政元年)、つまり150年ぐらい前に描かれたようです。

Q;今年のお祭はいつですか?

A;日程は10月14日が宵宮で、神輿は小宅神社の御本殿からお旅所まで走ります。
15日はその逆にお旅所から御本殿に行きます。

Q;神輿はどのくらいの距離を走るのですか?

A;本殿からお旅所の間は約250mですが、何度も往復しながら走ります。昔は延べで1Km以上走ったと思います。また昔は、一度ご本殿から自分の村に持って帰ってからお旅所まで走っていたところもありましたね。

Q;神輿をかつぐ場合、どんな特徴がありますか?

A;神輿をコントロールするのは、通称”天狗”という者ですが、かつぎ手の肩がそろうまでかつぎ棒の調子を合わせ、皆の肩がそろった時に”走れ!”と合図します。皆がそろわないうちにスタートさせると肩がガタガタになってそろわなくなるので、全体を見ながらやらないといけないので大変です。

Q;肩がそろわないとどうなるのですか?

A;肩がそろわないとエライ。神輿は、約300Kg以上あるので、8人でかつぐと1人当たり40Kg〜60Kgぐらいかかると思います。それが肩がバラバラだと負荷加重は人によっては、10Kgぐらいの人や、逆に100Kgぐらいかかる人もある。いかに調子をとらせるかが大事ですね。
また、かつぎ方ですが、昔はかつぎ手はかつぎ棒の中にいたのに、今はかつぎ棒の外に出てかついでいます。安全面、つまり支える広さが広いほど倒れにくいということから外から支えるようになったのだと思います。ところがそれは間違っているのです。中に入った方が2人がお互いの肩に手を掛けて肩車を組むことが出来、タイミングも取りやすいので荷重が揃いやすいはずです。また中にいてきちっと組む方が揺れが少ないのですが、外からかつぐと荷重のかかるバランスは余計崩れやすくなります。

Q;かつぎ手が恐がっているのですかね?

A;そうかもしれないですな。

Q;中にいると倒れた時に下敷きになるので恐いという感じがするのかもしれませんね。

A;肩を組んでいると肩が良く合うはずだし、肩が離れていると相手がどんな状態か分からない。そういうことを総代(自治会長)の人に言ってあげているのですがなかなか理解されていないようです。昔の人はダテにそうしているのではなく、むしろ理(力学)にかなっていると思いますよ。

Q;今年の見所は?

A;やはり全面改修した神輿や竿や旗です。
今の神輿は明治13年に作られたもので約120年間使われていました。今回それを全面改修します。
一旦分解し、うるしや金物類も綺麗にやり直し、同時に、旗とか棒も塗り替えます。
それと、かつぎ棒の長さも長くします。昔のかつぎ手の身長は165cmぐらいだったのですが、それが今は体格が大きい人が多くなっているので、かつぎ棒を長くして5mにしました。つまり、以前は4mのかつぎ棒なので、神輿が1.2mとすると棒の片側の長さは1.4mになる。その間に2人がいると、最近の若い人は足が長くなったので前の人に足が当ってしまう。それで全体の長さを5mにしました。そうすると、片側の棒の長さは1.8mになって、走る歩幅に合って走りやすくなっているはずです。

Q;今までどれぐらいの人出になっていますか?

A;子供神輿も出るので延べで3000〜4000人ぐらいと思います。

Q;神輿1台と子供神輿8台は、いつごろ行ったら見られますか?

A;14日の宵宮は20時にご本殿を出発しお旅所に行き、翌15日は13:00にお旅所を出発し、ご本殿に戻ります。
ぜひ新しくなった神輿を見に来て下さい。

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